ほんものを見抜く目を、いまこそ養いたい!
(K.H、アメリカ合衆国カリフォルニア州、男性、20代、学生)
イニシャルの場合は、姓名の順です。
最近、といっても2、3カ月ほど前、近所のいつも行くスーパーマーケットへ行き、いつもの道を帰宅しようとドライブしていると、いつもと違う景色が、フロントガラス越しに飛び込んできました。道端に植えられている街路樹が輝いているのです。思わず車を止めてよく見てみると、なんだか1本1本の木々が、その枝が、そしてその葉の1枚1枚がくっきりとそして生き生きと見えたのでした。こんな事は初めてで、その日は特に天気が良いわけでもなく、いつもと同じような、スモッグまじりの空模様。なのにいつもと違うこの景色は?と不思議に思うと同時に、なんだかありがたくてとても感動し、その「いのち」の力強さに、自分までもが、わくわくしてきました。
次にそこを通った時も、よく見てみるとやはり生き生きと輝いて見えました。ちょうどその頃は、日々の生活、都会の生活に疲れ気味で、どこか自然の中に行きたいと強く思っていた時期でした。でも本当は必要なものはすべて身近にあると実感すると同時に、アスファルトに囲まれたあんな狭いスペースで、よくもまあ、立派に力強く生きてるなと考えさせられました。また、人間の目も意外といい加減というか、同じ人が同じ物を見ても、その人の見る時の気持ちや、体の状態によっては全く違って見えてくるんだなと。目から入ってくる情報は同じでも、その情報の処理の仕方、とらえ方1つで楽しくなれる。人間も不思議でおもしろい生き物だなとつくづく感じ入りました。
ほかに「いのち」といえば、グランド・キャニオンへ行った時にとても感動しました。あそこに立ったあの感動は、僕の表現力の貧しさも手伝って、とても表現しきれるものではないので書けません。ただあそこに立って考えたことは、「こんなに美しくて、素晴らしい地球を傷つけちゃだめだ」。経済発展の名のもとに好き勝手をしている人たちと、そのなんらかの恩恵を受けている自分。考え始めると矛盾地獄に陥ってしまいそうですが、何とかしなければいけません。地球という1つの大きな「いのち」。ある程度、地球の許容範囲までなら人間のわがままも受け入れてくれるかもしれませんが、それにも限度があるでしょう。大きなしっぺ返しがくる前に、何とか自分の生活を改めていきたい…と、考えさせられました。そんな地球はやっぱりすごい!
私は今ロスで、自然食品を扱う会社でアルバイトしています。主に有機野菜や無添加食材の宅配を手伝っています。ほとんどのお客さんは日本人で、妊娠や育児を理由に、外に買い物に出られないというお客さんも多いです。配達先で会う赤ちゃんや子供たちは本当にかわいくて、無邪気です。そしてお母さん達は、うちの食材を信じて子供たちにせっせと食べさせてくれています。でも、時々不安になる時があります。この食材はどこまで安全なのだろうかと。業者の言葉を信じれば問題ないかもしれませんが、過去にその業者の言葉が正しくないケースもあったそうです。食べ物の安全性について、あまりにも無知な自分に気がつきました。本物を見抜く目を養いたいものです。
●「脱コンビニ食大賞」バックナンバー
第14回(2008年1月期)
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「宇宙といのち」
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第13回(2003年11月期)
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「どうして、地元の野菜がスーパーに並ばないのでしょう」
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第12回(2003年10月期)
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「将来を考えると子どもが作れないんです」
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第11回(2003年
9月期)
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「いのちに向き合う時間を作りたい」
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第10回(2000年
1月期)
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「ほんものを見抜く目を、いまこそ養いたい!」
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第
9回(1999年12月期)
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「いのちの持つ不思議さに、静かな感動を覚える」
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第 8回(1998年
6月期)
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「一命を取り留めた、私の「大腸ガン」体験」
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第 7回(1999年
5月期)
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「動物のいのち軽視は、人間の軽視ですね」
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第 6回(1999年
2月期)
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「帰国して和食を食べると、頭痛がします」
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第
5回(1998年12月期)
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「この文章、僕いま授業中に書いています」
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第 4回(1998年
8月期)
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「やはり変。学校現場はのんきです」
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第 3回(1998年
7月期)
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「コンビニ弁当ばかり。私、馬鹿でした」
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第 2回(1998年
4月期)
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「アルバイトで、フーゾクやっています。いま入院中」
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第 1回(1998年
3月期)
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「私の決意は、……1日も持ちませんでした」
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