第5回 「脱コンビニ食大賞」発表
(1998年12月期)

 

この文章、僕いま授業中に書いています

(加藤.K、東京都世田谷区、高校生)
イニシャルの場合は、姓名の順です。

 

 現在、16歳の高校1年生です。僕はこの4月から洗濯は自分でやり、石けんを使っています。でも母親は、まだ合成洗剤を使っています。兄も父も、みな洗剤で洗ったものを平気で肌につけているんです。その毒性を僕は勉強したからとても我慢ができません。

 ところで本題に入りますが、「食や環境を改善するために、学校に行かずにいますぐそのような仕事に入ってゆくべきか」、ということに悩んでいます。どうしたらいいのでしょうか。教えて下さい。僕のそばにいるいわゆる学校の問題児とか“不良”とか言われている人は、そこらへんで売られている菓子が好きでよく食べているような気がするのです。ここで言いたいのは、食べものが私たちの精神をある程度左右するのではないかと言うことです。(『あぶないコンビニ食』に)書かれていた内容を見て、その感を深くしています。

 僕は、生きること、長生きすることへの欲が人一倍強いのかも知れませんが、いま、不本意ながら学校に通っていることがもう限界、という気がしています。学校なんてすぐに辞めて、自分のしたいことがしたいのです。自分の勉強がしたいのです。健康で長生きをし、楽しい人生を送りたいし、その健康、すなわちいのちがおびやかされているのならそれをなんとか改善するために立ち上がらねばと思うのですが、思うようにいきません。

 この文章は、いま授業中に書いています。授業時間がもったいないのです。いまの人々は、「誤食」「愚食」「悪食」とでも言うべきものを食べて、いのちを縮めているのでしょうね。早く、自分の本当の仕事がしたいです。

(山田から「学校は続けるべき」との返事を出しました)

 

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