いのちに向き合う時間を作りたい
(加藤眞由子、東京都杉並区、女性、19歳、学生)
イニシャルの場合は、姓名の順です。
今の人たちは生きるために食べることをしなくなっていると思う。最近流行の食べ放題のバイキング。まるでスポーツとでも言うかのように大食い、早食いをする人々。これを食べれば血液がサラサラになる、体脂肪が減るなどといった健康番組は熱心に観るくせに、普段の食生活は真剣に見直そうとしない…。
みんなTVショッピングの健康器具を試したり、薬のようなサプリメントを何種類も調合することに夢中だ。うまいものを食べて動かずに太り、それでも楽して痩せたいだなんて、なんて甘い考えなのだろう。ただ美味しいものを食べるということだけが本当に好きなのだなとつくづく思う。食に対して真剣でないものを観ると腹が立ってしかたがない。
みせかけだけ美しくして中身は薬漬けなんていう食べ物が増えてきた。おいしいよ、健康にいいよと笑いかけ、私たちのいのちについてこれっぽっちも考えていない。そんな嘘っぱちなテレビコマーシャルに向かって私はいつも「よくもそんな嘘が言えるわね!」と叫んでいる。
最近、自炊をするようになって改めて食を他人まかせにする危険性に気が付いた。母がつくってくれる料理でさえ化学調味料漬けであることを知ったからだ。それでも毎日家族のために食事をつくってくれた母には感謝をしている。
今はどこへ行っても食が溢れていて、お金さえあれば空腹を満たすことが出来る。けれど大切なのは腹を満たすことだけではないと思う。料理をつくってくれた人、自分のためにいのちをくれた生き物や、それを食べるということに対しての感謝の気持ちを持つことによる心の満腹感が私たちにはまだまだ足りない気がする。
部屋の中に立ち込めるご飯の匂いが人をどれだけ幸せにするか。私はそれを知らず知らずの間に母に教わっていた。学生生活はそれなりに忙しい。だからといって料理をする時間がないだなんて単なる言い訳にすぎないのだ。どんなに忙しい時でも私は自分のために毎週かかさず包丁を握る。そんな私をみんな“エライ”だの“スゴイ”だのとものもめずらしげに見るけれど、こんなこと、なんてことはないのだ。
ただちょっとばかりお化粧をしたり友達とカラオケや買い物等に行く時間を減らして、“いのち”に対して向き合う時間をつくればいいだけのことなのだ。カラオケも買い物も、いのちに対して向き合う時間を削ってまでもすることなのだろうか。どれもこれもいのちあってのことだと思う。
“いのち”と何時間も向き合う私の横で、カップ麺にお湯を注いだり、レンジでチンのレトルト食品を幸せそうに頬張る人たちがいる。彼女たちを見ているといつも胸が痛くなる。食べる時間と一緒に生きる時間まで短くしてほしくないと心の中で叫んでいる。
店先に並ぶほとんど全ての食べものがおいしそうに着飾ったクスリにしかみえなくなってきた。食べ物に対して疑いの心をもつようになってきた。自分で知ろうとしなければ誰も真実を教えてはくれない。誰も気が付かないところから静かに忍び寄ってきている食の危険。生きるために食べているはずがいつのまにか死に近づいている。本当に恐ろしい時代に私は今生きているのだ。
生きるために食べたい。他の生き物がしているように私も。出来るだろうか。出来るようになりたい。今の私のためだけではなく、これから続いていくいのちのために…。
食を投げやりにすれば、食によるしっぺ返しを受ける。食べ物みたいな食べ物をこれ以上増やさないために今私が出来ることを精一杯やっていきたい。
●「脱コンビニ食大賞」バックナンバー
第14回(2008年1月期)
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「宇宙といのち」
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第13回(2003年11月期)
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「どうして、地元の野菜がスーパーに並ばないのでしょう」
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第12回(2003年10月期)
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「将来を考えると子どもが作れないんです」
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第11回(2003年
9月期)
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「いのちに向き合う時間を作りたい」
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第10回(2000年
1月期)
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「ほんものを見抜く目を、いまこそ養いたい!」
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第
9回(1999年12月期)
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「いのちの持つ不思議さに、静かな感動を覚える」
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第 8回(1998年
6月期)
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「一命を取り留めた、私の「大腸ガン」体験」
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第 7回(1999年
5月期)
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「動物のいのち軽視は、人間の軽視ですね」
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第 6回(1999年
2月期)
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「帰国して和食を食べると、頭痛がします」
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第
5回(1998年12月期)
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「この文章、僕いま授業中に書いています」
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第 4回(1998年
8月期)
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「やはり変。学校現場はのんきです」
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第 3回(1998年
7月期)
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「コンビニ弁当ばかり。私、馬鹿でした」
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第 2回(1998年
4月期)
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「アルバイトで、フーゾクやっています。いま入院中」
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第 1回(1998年
3月期)
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「私の決意は、……1日も持ちませんでした」
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