第12回 「脱コンビニ食大賞」発表
(2003年10月期)

 

将来を考えると子どもが作れないんです

(丸山順子、愛知県名古屋市、女性)
イニシャルの場合は、姓名の順です。

 

 食べることというのは、一番大切なことなのではないかと思います。髪もつめもいつか食べたものでできている。将来の(子孫も含めて)心身の健康を左右するし、なくなれば死につながります。

 私は生まれたころから、食料は豊富にあり、多少お腹がすく経験はあっても、食べものがない恐怖、飢えた経験はありませんが、食べもの、農業酪農も大切にしなければいけないと小さなころから考える性分でした。
 日本は自給率が低く、海外からの食べもの輸入量が一番多いのに廃棄率が一番多いと知ったときは、ため息しか出ませんでした。なんというごう慢、これは手痛いしっぺ返しがくる、もう返ってきていますよね。食べものに限らず、人間のごう慢な行動によるしっぺ返しが。

 巷には食べものがあふれています。ですがとても弱い基盤です。もしこの食べものが安全ではないものだったら、もし供給が止まったら、周りで談笑しながら食事を楽しんでいる人達が、パニックになり醜い部分をさらけだすことにならなければいいけど、などと思いながら、みせかけの豊かさの中でどこか落ちつかない居心地の悪さを感じています。

 私は自然が好きです。虫などは正直大の苦手ですが、水の流れる音や樹木、空も雲も水も夕日や虹など、生きものには苦手なものもありますが、それでも生態などにはとても興味があります。もちろん命を脅かすこともありますが、だからこそ怖れを抱きつつ、恩恵にあずかってきたのではと思うのです。

 私の願いは、子々孫々にまで人間らしい豊かさの中で平和に暮らしていけることです(他にもたくさんありますけど)。いま私は子どもを作れないでいます。できないというわけではないのですが、どういう世の中になるの分からない、安全な食べものすらなくなるかもしれないため、あまり希望が持てないのです。

 でも大切な娘が一人います。大変な世の中だからこそ味方が必要で、やはり欲しいのですが考えが決まらないのです。授からなくて悩んでいる人もいるのにばちあたりだなとも思います。本能が弱くなってしまったのかなとも思います。

 授乳は、生命を育む自然な行為だと思います。人間は赤ちゃんを抱いたとき顔の位置のところに乳房が来るようになっているとの話を聞き、なるほどと思った覚えがあります。それなのに母乳にダイオキシンが含まれているなんて。授乳は幸せで神聖なものだと思います。

 赤ちゃんが飲んだ分、母親からは毒物は出ていっても、その分あんな可愛い赤ちゃんの体内に入ってしまう。毒性よりスキンシップの効果のほうが計りしれないのですぐやめることはないと聞いても、それはそうかもしれないけど、授乳も満足にできない世の中になってしまったのかととても悲しい気持ちになったのを思い出します。

 また狂牛病騒ぎもあり、粉ミルクを飲ませていて不安になった保護者は私だけではないと思います。とにかくこの国は、国民が知りたい、知らされるべき情報が自分が意識を持ち働きかけなければ知ることができないか、それでも難しい場合が多々あります。

 私は悪い大人が大きらいです。どうしてもっと長い目で見るとか、幼い者や弱者を守ることができないのかなと思います。色々な事情は分からないので致し方ないこともあるかとは思いますが、私も面倒なときなどそう菜を使ったりしますが(『続・あぶないコンビニ食』を読んでからは利用していません)、やはりそういうものと自分で手をかけた料理を食べたり食べさせているときの気持ちは両者で全然違います。

 身近なことですが手をかける大切さがとてもよく分かります。前者は空腹は満たされても(それでも大変ありがたいですが)、続けるのは心もすさむ気がします。自分で作れば調味料も何を使ったか分かるし量も加減できます。材料も選べます。家族の健康がかかっているのでおろそかにできません。

 私は食べものに限らず何でも裏の表示を見るくせがついていますが(表示も信用できないかもしれませんが)、今回また不安な情報を知ってしまいました。それは放射能照射食品です。芽の出ないジャガイモばかりがスーパーにあふれています。知らないうちに多くの人が食べてしまっているんですね。人体実験みたいなものです。

 宅配で自然食品のジャガイモ、人参を頼んだことがありますが、すぐ芽が出るし人参もいたみましたが、私はこちらのほうがいいです。健康や将来のことを考えたら高いとは思いません。手をかけたよいものには払うべきです。私はあまり賞味期限の長いものは買わないようにしています。もっと旬を大事にして地産地消と言ったでしょうか、なるべく近くでとれたものを選ぶようにしています。

 食べものにも不安がつきまといますが、気になるのは容器、食器、調理器具です。アルミはよくないと読みましたが、使っている人は多く、店頭にも売られています。食べものでも何でもどうしてよくないものが売られているのでしょうか。リスクも知らされずに。それで家族を養って人もいるし、スポンサーなどの関係で私たちには伝わりにくいこともあるのかもしれませんが、何が大切か、どこにお金をかけるべきか、価値観を押しつけることはできんせんが、これからは考えていきたいと思っています。

 こういう話を真剣にできる相手はなかなかいません。あまり努力もしなかった気もしますが。食について考えていることを思いつくまま書いて(まだ書きたいこともありますが)だいぶすっきりしました。あまり考えすぎても体に悪いなとも思っていましたが、他にも考えている人たちもたくさんいるようで、心も軽くなりました。

 

●「脱コンビニ食大賞」バックナンバー

 第14回(2008年1月期) 

 「宇宙といのち」

 第13回(2003年11月期)

 「どうして、地元の野菜がスーパーに並ばないのでしょう」

 第12回(2003年10月期)

 「将来を考えると子どもが作れないんです」

 第11回(2003年 9月期)

 「いのちに向き合う時間を作りたい」

 第10回(2000年 1月期)

 「ほんものを見抜く目を、いまこそ養いたい!」

 第 9回(1999年12月期)

 いのちの持つ不思議さに、静かな感動を覚える

 第 8回(1998年 6月期)

 「一命を取り留めた、私の「大腸ガン」体験

 第 7回(1999年 5月期)

 「動物のいのち軽視は、人間の軽視ですね

 第 6回(1999年 2月期)

 「帰国して和食を食べると、頭痛がします

 第 5回(1998年12月期)

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 第 4回(1998年 8月期)

 「やはり変。学校現場はのんきです

 第 3回(1998年 7月期)

 「コンビニ弁当ばかり。私、馬鹿でした

 第 2回(1998年 4月期)

 「アルバイトで、フーゾクやっています。いま入院中

 第 1回(1998年 3月期)

 「私の決意は、……1日も持ちませんでした

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