(1999年6月期) |
イニシャルの場合は、姓名の順です。 1998年は、私にとって忘れられない1年でした。なぜなら、私のいのちが与えられたものであると悟った1年、だったからです。 この年の初めから、なんとなく体の調子が悪くなり、健康食品などでごまかして体を酷使していたんです。白髪やしみ、しわが増え、死を連想することが多くなりました。夏に入ると、とうとう体が動かなくなり、横になっていることが多くなりました。そして大腸ガン宣告と、人工肛門が必要だとの診断。私はそれまでの数々の症状が、ガンとの戦いによる痛み、悲鳴だったのだと分かると、それを無視していた自分に対して、人工肛門は当然の報いだと思い至りました。また一方で、解決する方法を探すことが、与えられたラストチャンスであり、いのちという報酬を与えられるチャンスだと思いました。そしてその数日後に、ある医師と出会い、開腹手術さえすることもなく、内視鏡によるガンの切除で完治できたのです。あと10日も遅ければ人工肛門は避けられなかったとのことでした。 現在、いのちのよみがえりを実感しています。しみやしわが薄くなり、驚くほど活力も戻ってきました。でもガンの原因が取り除かれたわけではありません。再発する可能性はあります。いまの良好な状態は、私がいのちを大切にしていることの現れなんですね。 私は、いのちを軽視してガンになり、大切さを悟って一命を取り留めました。この明確な因果関係におののくと同時に、いのちの貴重さを実感し、1日1日を生きることに感動を覚えずにはいられません。
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