メインページへ

山田博士のホームページ 

−CD及び、心を揺さぶるノンフィクションソングのご紹介−


●作品一覧
  
 下記の作品はすべて山田博士が作詞したものです。作品をご覧になりたいかたは、作品名をクリックして下さい。「事実は小説より奇なり」とはよく言ったものです。ぜひご覧下さい。CDもできています。

 1.君の明日(あした)へ手紙を書こう

 

忘れていませんか。今年も5月がめぐってきました。1956年5月1日、熊本県で一人の少女が、最初に水俣病と言う名前に。「痛い痛い、お母さんお母さん」と叫び続けながら3年後に亡くなった田中静子ちゃん。チッソ水俣工場で、塩ビの原料である塩ビモノマーを作るとき、触媒として猛毒な水銀が使われたのです。塩ビを毎日大量に使う私たち自身が、加害者であり続ける社会。君の明日へ手紙を書き続けてほしい。

 2.灰、さようなら

  −−I'm a Red Signal Man(4)−−

 

高校生たちが、コンビニの前で堂々と喫煙をしています。大人たちも、もう当たり前の光景のため、誰も驚きもしません。じつは、明治時代にも子どもたちに喫煙が広がっていたのです。日本での国産紙巻きタバコは、1869年(明治2年)に上田安五郎が作ったものが最初のようですが、喫煙の風習は、当時の子どもの間にも広がってしまったんですね。小学生までが喫煙をしながら 学校に通っていたようです。でも、肺を壊して、徴兵に取れなくなったら大変だということで、未成年者喫煙禁止法を制定したようです。正直ですね。いまの若者たちの肺の中はどうなって……。

 3.転(ころ)がった赤いヘルメット

  −−I'm a Red Signal Man(3)−

 

先日、自動車免許更新のための講習を受けました。衝撃でした。全国で交通事故の死者が約1万人。毎年この数字は変わっていないのです。車優先社会の醜さ、いろいろ原因はあげられます。でも、ペットボトルを愛用する若者が起こす事故には、それだけではない何かがあると私は思うのです。この歌の主人公はわずか18歳の女性。自動二輪の免許をとってすぐの事故でした。

 4.ドレミファ空(ソラ)いっぱい シャボン玉

 

今回は童謡です(笑)。シャボン玉って、なぜあんなにまあるくって、暖かくて、夢があり、優しいのでしょう。もしシャボン玉が、三角や四角のような尖った形をしていたら、きっとお互い にぶつかり合って、それぞれがはじけて消えてしまうでしょうね。私たち人間もまったく同じ。ギスギスしたいまの社会、他人とのつき合いは、お互いにシャボン玉でありたいですね。

 5.青い光

  −−I'm a Red Signal Man(2)−−

 

驚かないで下さい。地中深く埋められた高レベル放射性廃棄物は、120年後になっても水を一瞬にして蒸発させる熱さです。岩塩を溶かし、地下水と接触することになると、プルトニウムの臨界反応が地下で生まれ、原爆が勝手に生まれます。すべてを破壊し尽く したあとの日本には、何が残っているというのでしょうか。今回の事故は痛烈でした。

 6.海がなくてはつらいよ人は

 

海って、ホッとしませんか。大昔、人間が魚の姿をしていたころ、この広いうなばらを自由に泳ぎ回っていたのでしょうね。その郷愁が私たちを海に誘うのかもしれません。いま、なぎさが消え、魚たちは遠い世界に旅立ってしまいました。バブルの時代の後遺症である神戸空港が、海の中に作られようともしています。魚ばかりでなく、私も、「海がなくてはつらい」思いです。

 7.時の川

 

人生、たまには休んで下さい。こんなギスギスしてしまったような世の中にあっては、自分を振り返ってみる時間が大切じゃありませんか。「博々亭」にいらっしゃるかたも、そういう場を求めて顔を出されるかたが最近増えたようです。たとえ一滴のお酒が飲めない人も、しみじみと酔った気分になって下さい。「時の川」に身を任せるのもいいもんですよ。

 8.五木村水没エレジー

 

熊本県五木村のダム工事が、いよいよ99年度中の本体工事着工に向け、新たな段階に入りました。33年前に立案され、環境影響の調査さえせずに始まった川辺川のダム計画。何が何でも村を消すという建設省。でも、長い年月をダム計画に振り回されてきた村人たちの心はいかんばかりでしょう。世界は、ダムを作らない方向に動いているというのに。

 9.在宅介護の母、90歳

 

津軽に住むある90歳の母の話。10年前に突然脳出血で倒れ、在宅で介護を受けているとのこと。ただ、週5日間は家政婦さんが訪問してくれるのですが、2日間は7人の姉妹が北海道や九州各地から交互に駆けつけるとのことです。在宅介護の状況は日本ではまだまだととのっていなくて心配です。でもどうか90歳のお母さん、長生きをただただ祈っています。

 10.コソボの村に雨が降る

 

「人間として信じがたい行為……」。ある総合病院が空爆で破壊されたときの看護婦の言葉です。その産婦人科病棟では、攻撃のわずか10分前に出産があったとのこと。NATO(北大西洋条約機構)がユーゴへの空爆に踏み切って約2か月。誤爆という名の市民への攻撃も続いています。20世紀が終わるいま、信じられない事態に、コソボの子どもたちの顔を思い浮かべる毎日です。

 11.21世紀への伝言

 

 

いろいろなことがありました。この100年。初めて人類が空を飛び、歌声が世界を一つにし、 そして悲惨な戦火が幾粒もの涙を地上に落とし続けました。20世紀はもうすぐ去っていきます。私たちは何を学んだのでしょうか。まだまだ解決しなければならない問題は山積しています。だけど希望はいつも持ちたい。この「21世紀への伝言」は、私たち自身への伝言でもあります。

 12.まぶしい双子の天使

 

ベトナム戦争が終わった年、1975年。それから5年後に、ベトちゃんとドクちゃんが生まれました。体は1つですが、頭は2つついています。足は2本だけです。10年間にわたって、アメリカ軍がまき続けた枯れ葉剤。猛毒の塩化ダイオキシンがベトナム人の体に吸収されました。24年後のいま、その枯れ葉剤を作った会社が、日本人の食卓をねらっています。

 13.戻っておいでよ 私の窓に

 

近ごろ、スズメがいなくなったと思いませんか。窓辺に、公園に、庭先に、あれほどチュンチュン人間たちと話していた彼らはどこへ行ったのでしょう。替わって、ハシブトガラスやドバト、ムクドリなどが町を制覇しています。カラスは人を襲いますし、ドバトの糞は小児麻痺ウイルスをもっています。小さな可愛い鳥たちは、未来を予測してどこかの町に飛び去ったのでしょうか。

 14.若いモンへの車内エチケットソング

 

最近の車内事情はちょっと異常です。戦後50年が経って、私たちの為してきた経済活動の結果がこんな形で現れようとはねえ。多くの客がすぐ前にいても、彼らの瞳には何も映っていないのです。なるほど、そうでなければこの歌のような“車内事情”が起こるはずもありませんよね。自分だけの世界に浸る彼らは、たぶん沈没する船に乗っていることさえ気がつかないのでしょう。

 15.おばあちゃんの魚売り

 

沖縄の糸満港で会ったというおばあさんの話。作家の永六輔さんが話していたものです。いいじゃないですか。この幸せ。おばあさん一人が売れるだけの魚を、おじいさんが毎朝釣って来る。そこには、余分なものは浪費しないという思想があるような気がします。魚にも幸せを与えるという思想。日本の役人や企業人にこの発想があるかどうか。おばあさん、いつまでも長生きしてね。

 16.幸せ辞典

 

今月の歌は、「幸せ辞典」。こんな社会です。だれでもいつでも毎日苦しいことだらけ。でも、雨はいつまでも降り続きません。必ず止む日がきます。くよくよなんかしていられませんよね。よく考えると、私たちのこれからの人生の中で、一番若い日がまさに今日なのですね。歌にあるように「涙をぬぐって笑ってみよう」。きっとポケットの中に、幸せ辞典が現れますよ。

 17.ほろほろ母二人

 

日本人の女の子を、実の子のように育て上げた中国人の養母と、わが子を託した日本人の母。51年ぶりに再会しました。97年9月のこと。日本が中国に侵略したあの戦争が終わってから半世紀。当時の赤ちゃん、大西芳枝さんを育てた養母の張さんは、「寂しくてこれからどう中国で暮らしていこうか」と涙をぬぐったそうです。考えさせられます。戦争と平和。そして二人の母。

 18.市外局番0770 

 

どなたでも、ふといまの自分の生きかたがむしょうに気になるときがあると思います。そんなとき、人生の始発駅である故郷を思い出すと、また新たなエネルギーが盛り上がってくるものです。私がいつでも町角からダイアルするのは、故郷の市外局番0770。皆さんもそうじゃありませんか。

 19.見えないものこそ大事じゃないか

 

最近、若い人をみていると、あまりにものブランド指向に驚きます。でもしょせん「モノ」じゃないですか。私思うのですが、世の中の大事なものはみな直接触れることができないようになっているのじゃないでしょうか。いのち、心、愛、時間、みなそうです。君よ、「見えないものこそ大事じゃないか」。

 20.坊やといっしょ あいうえお

 

私、子守唄が大好きなんです(笑)。遠い昔を思うだけでなく、もっと昔のまだ羊水に浸っていたころをなぜか感じるのです。いまの若いお母さんたちにこの唄を歌ってほしいなあ。曲もついています。いい曲ですよ。

 21.はるか昔の人たちは

 

犬の大好きな私にとって、彼らに教わることは山ほどあります。自然に対して素直だということ。うれしいときには体全体で喜び、怖いときにはそれこそシッポの先まで震えています。人間も大昔はそうでした。少しは私たちも謙虚になりたいですね。

 22.ショックな食

 −−I'm a Red Signal Man(1)−−

 

ラップ調の歌です。Red Signal、つまり「赤信号」のことです。私たちの食べているものが、私たちの心や行動に影響を与えているのじゃないかという内容を面白く書いてみました。曲がついています。BGMに救急車の音も入っており、“面白い”ですよ。

 23.明日(あした)が見えるかい

 

道にしゃがんだ若者たちよ。しゃがんでは駄目だ。つま先立ててはるか向こうを見るがいい。たとえいまつまずいていたってどうということはないんだ。でも、いつも明日を見ていてほしい。時の流れを信じて、時間に浮かぶ小舟を漕いでいってほしい。

 24.息子よ!

 

小中学生の“事件”が世を騒がせています。でもいつも私思うのですが、そこに「父」の姿がどこにも見えないということ。教師が悪い、学校が悪い、親が悪い、というとき、そこには父が欠如しています。息子と父の関係を唄ってみました。

 25.呆っ呆っ呆っの母

「お母ちゃんはな、あんただけが宝や。あんたがどんなに悪いことをしてもかまへん。あんただけが宝や。たとえあんたがお嫁に行くようになっても、いつまでも母と娘でいような。お母ちゃんも、体にはうんと気いつけるさかいしな。ええな、いつまでも母と娘でいような、な」

 26.握 り め し

子どもたちへ。どうか聞いてくれ。君たちはけっして一人ではない。たとえいま君の体はちいっちゃくても、まるで握りめしの一粒のようにとるに足らないような大きさでも、みんなが集まればこんなにでっかいおむすびになる。ぼくたちは一人ではない。母さんの愛情を心と体に一杯に浴びて育ってきたんだ。自信をもって誇り高く生きようじゃないか。いのちに悩んでいる君へ。

 27.シローよ

捨てられた犬や猫の運命、みなさん知っていますか。ペットショップでいとも簡単に動物を買い、ただ飽きたというだけでいとも簡単に彼らを捨ててしまう。飼い主をあれだけ慕っていた彼らの瞳を私は直視することができません。この日本だけで、1年に殺される犬が45万匹。そのうち2万匹が動物実験されています。動物を粗末にする社会は、たぶん人間をも粗末にする社会です。

 28.グッバイ マザー

「マザーに会わせて!」。沿道の人たちは叫んだとのことです。1997年9月13日、インドのカルカッタ市は気温27度C。過ごしやすいこの日、マザー・テレサの遺体が式場に運ばれた沿道を埋めたのは、貧しい人たちばかりでした。マケドニアに生まれた彼女は38歳のとき、インドのスラムに飛び込みます。そして半世紀。神のような人がこの地球上にもいらっしゃったんですね。さようなら、テレサ……。

 29.ASIAN RIVER
    (アジアの河)

 

東南アジアなどに赴任した日本人が残すいわゆる現地妻。
「死にます。本気です。あなた殺したい」と歌の中で叫んでいます。これは私たちに投げかけられた悲しい言葉といえましょう。

 30.笑いとばそう

 

君よ、死ぬな。君よ、生きるんだ。なにがあっても、たとえ這ってでも生き抜くのだ。負けてはいけない。いじめ、なんだそんなもの。学校なんかほんの一粒。笑いとばそうじゃないか。涙をこぼしながら笑うがいい。

 31.あの子を3日だけ返して

 

現在、5日に一人が薬害エイズで天に昇っています。なんという国でしょう。なんという企業社会でしょう。日本の厚生行政の正体がみえたのです。
この歌の坊やも天国に旅立ちました。

 32淳くん、さよなら

つらい事件でした。やりきれない事実でした。犯人が分かったその日、私は東京の地下鉄に乗っていましたが、車内の人たちはみんな下を向いてジッと何ごとかにこらえている気がしたほどです。神戸の小学6年生淳くんが殺されて、頭部が中学校の正門前に置かれた事件(97.6)。犯人が顔見知りの中学3年生の男子だったとは。淳くん、天国から私たちの姿はどうみえますか。

 33.越前海岸涙色

1997年は、不気味なすべり出しでした。1月2日の未明、島根県の隠岐島近くの日本海で、ロシアのタンカー「ナホトカ」(1万3157t)が沈没。流れ出た重油の帯で、日本海沿岸の1250kmの海岸線が黒く染まってしまったのです。鳥も魚も砂も貝も海草も、そして人までも倒れていきました。この「越前海岸涙色」は、実際に亡くなったある漁師への鎮魂歌でもあります。

 34.   

残留孤児−−。なんと悲しい言葉の響きでしょうか。戦後半世紀もたった平成の世の中で、中国大陸にはまだこの日本を焦がれてまっている多くの日本人がいるのです。私たちはともすれば忘れがちですが、この人たちの犠牲の上にいまの“平和な社会”があることをもっと知ってほしい。来日した残留孤児たちのもってきた手がかりの品は、半世紀前そのものの「慟哭」でした。

 35.千羽(せんば)の鶴

 

病気で亡くなる夫と一人遺される妻。幸せ舞台に突然幕が降りてしまいます。食品中のマグネシウムの不足のため急に心臓が止まる現実。あなたも例外じゃありません。
若い世代に増える突然死やガン死を描きました。

 36.1行広告 

 

ある新聞の社会面。下のほうにあった1行広告が目をひきました。
「一夫、至急連絡せよ。父、母」。一夫君、君の心に何が入ったのだろう。私でよかったら一報くれないか。

 37.昨日(きのう)がほしい

 

阪神大震災はまだ終わっていません。
自分の上にかぶさった親が、ゆっくりと6時間ほどかけて冷たくなってゆく体験をした子どもたち。9歳のある女の子は、1年たって突然学校に行けなくなりました。




講演会

マスコミ記事

著 書

無料メルマガ

小冊子・CD-ROM版

いのち運転教習所

ニッポンの 母親養成塾

子ども板前養成塾

月1万〜

実話・食卓の事件簿

無料レポート

笑え! 暴走食

作 詞

脱コンビニ食大賞

リンク

博々亭

山田プロフィール

当メルマガへの広告案内


山田博士いのち研究所

〒152-0035 東京都目黒区自由が丘2ー16ー12 RJ3

TEL 050-5343-7214

★ご連絡は、どんなことでも下記アドレスへどうぞ。
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P94457447